調教理論は役に立たない
調教がベストの仕上がりと言われている馬なのに負ける。これは珍しい話ではない。
ここで疑問が出てくる。ベストと言っていたのは誰なのか。
調教に関する情報を競馬ファンはどこから仕入れているか。
競馬新聞の調教欄がまず挙げられる。
以前はここに記載される調教タイムは各紙のトラックマンがストップウォッチで計測していた。
トラックマンも一個人の人間だ。
何の先入観も無く調教の仕上がりを判断するのは難しいだろう。
注目を浴びている馬がいたら、評価が甘くなるかも知れないし、逆に厳しくなるかも知れない。
重要なのは、競馬新聞の調教欄に記載されている内容は、
機械的なデータではなく、トラックマンの主観評価に過ぎないという事だ。
またインターネット等で調教師本人の言葉を直接知る機会があったとしよう。
その場合、その発言はトラックマンよりも精度が高い内容なのだろうか。
一概にそうとも言えない。調教師自身がやり遂げたと自分を鼓舞する為に大きな事を言う事もあるし、
仮に調教が上手くいかなかったとしてそれをそのまま臆面も無く言うのも憚られるだろう。
調教がレース結果にもたらす影響はゼロではない。
だが、調教の度合いを自分に伝えている誰かの言葉は、伝言ゲームによって劣化していると思っておこう。
他人の言葉をソースにして予想を組み立てるのを余儀なくされている調教理論は役に立たない。
また、グリーンチャンネル等を介し、自分の目で調教の良し悪しが見れる立場だとしても、
調教ベストの弱い馬と不調の強い馬では、不調の強い馬のほうが出せる成績は上だ。
馬そのものの性能の前では、調教は誤差に過ぎない。
もし調教を予想ファクターにしている人がいたら、他の要素に時間をかけたほうがいいとアドバイスしておこう。